●食に対しての責任(08年7月22日)
- 畑情報
■大豆の種を播きました
朝から蒸し暑い日が続くようになりました。水分を補給してもすぐに汗になってしまいます。田んぼの草取りに追われて、しばらく放っておいた畑の草を草刈り機で刈りましたが、気がつくと両腕が日に焼けて真っ赤になっていました。刈った草もいつの間にか乾いてからからになってしまいます。それでも気温は34℃。35℃を超える日が1週間以上も続くのがここのところの梅雨明け後の天気です。昨年、日本一暑い夏の記録を作った熊谷市はお隣です。今年も暑い、暑い夏がすぐそこに迫っています。
先週、味噌を仕込む用の大豆の種を播きました。千葉の有機農家の方から分けてもらった小糸在来という青色の大豆です。小糸在来の大豆は何度か種を分けてもらっていたのですが、上手に種取りをすることができずにいました。そして3年ほど前にまた小さな袋で種を頂き、その種が大きな袋いっぱいの大豆となり、昨年はもう一種類の大豆と合わせてですが、味噌を一樽仕込むまでになりました。今シーズンも冬に一樽の味噌を仕込む予定です。できれば全量を小糸在来でと考えています。
そして今年はもう一種類の在来種の種も播きました。ガバレのあるところは鴻巣市前砂という地区ですが、この地区の隣が箕田というところです。この箕田で作られてきた箕田在来という、やはり青い色の大豆の種を分けてもらうことができました。実は私が農業を始める前には、うちでも近所の家でもこの箕田在来と思われる大豆を育てていたような記憶があります。その大豆は頂いた箕田在来の種よりも大きかったように記憶しています。今も田んぼの畦などで大豆を育てている農家もいますので、その大豆は箕田在来かもしれません。小糸在来も箕田在来も11月頃が収穫となります。今年も種を増やすことができるように大豆の成長を見ていきたいと思います。
- 食に対しての責任
7月に入って農業新聞にアフリカの取材記事が連載されています。第1回目はエチオピアでした。今年も干ばつで400万人が飢餓状態に陥っていると言われています。私たちがエチオピアに滞在したのは1990年から2年間。その5年前には100万人以上が餓死したと言われ、世界がアフリカ支援に立ち上がった時代がありました。
その時はエチオピアの北部の台地、標高2000メートルを超える農村が飢餓の現場でした。今回は首都のアジスアベバから南へ向かった穀倉地帯が大きな打撃を受けています。
ケニアにある難民キャンプでは穀物価格の高騰で配給のトウモロコシ粉や食用油などの支援が2割減少しているという記事もありました。食料が減少する一方で、欧州向けの切り花栽培は右肩上がりで増えている状況も伝えています。
最近、テレビなどでも盛んに温暖化と食料危機の報道が行われています。食糧自給率がきわめて低い日本ですが、食べるものがないという状況、あるいは飢えというものを想像するのは戦争を知っている人以外は難しいでしょう。
85年の飢餓から少しずつ立ち直りつつあったエチオピアの農村に滞在していた私たちは、依然として厳しい状況におかれている農民達に接して愕然とし、同時に彼らが命を保つために何をしているかを見聞きして彼らの強さに驚きました。次の収穫まで2か月という時期、ある農民を訪ねると食べ物は残り数週間という状態でした。食事の回数を日に2回にし、いずれは1回に減らすのだと言いました。その1回も厳しくなればまず働き手である主人が食べ、畑仕事を手伝える男の子どもが次ぎに食べる。そしてその残りを母や、他の子どもが食べるようにするというのです。まずは子どもに食べさせると思っていた私たちの常識は通用しないほど、命をつなぐための厳しいルールが存在しました。
彼ら、エチオピアの農民を見ていて、食と命の密接な繋がりを改めて思いました。食は命をつなぐ大切な物であること、その食を育てる仕事をしている農家は、食に対して責任があるということをきちんと認識することが必用だと思います。
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1960年、埼玉県吹上町(現鴻巣市)生まれ、浩昭。400年以上続く農家の長男。大学卒業してすぐ青年海外協力隊 ザンビア派遣(野菜)。その後ちょっとプーちゃん。大学行きなおして、妻を発掘。妻とともに日本国際ボランティアセンター(JVC)エチオピア・東京勤務。1993年より 有機農業を志し、現在に至る。
1960年、兵庫県香住町生まれの広美。この人も大学卒業してすぐ青年海外協力隊 マラウイ派遣(理数科教師)。その後ちょっと中学の先生。そしてこの人も大学行きなおして、夫を発掘。日本国際ボランティアセンター・エチオピア勤務。下の子たちが中学生になって子育ても一段落。貧乏ヒマなし・・・いろいろいろいろやってます。
